【記事執筆者:心理カウンセラー畠山ユキ子】
一般社団法人全国心理技能振興会:認定心理カウンセラー:2011年から5000件以上(2025年現在)のカウンセリングを実施。愛着問題、毒親、機能不全家族から生じる生きづらさ、依存問題(恋愛依存、回避依存、共依存)や心の傷やトラウマ、親子問題や恋愛関係などの人間関係のご相談を現在も受けています。過去にはマスメディア出演等の活動経験も有り。
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自分の幸せを受け入れられない理由とは
「私は幸せでいていいの?」
自分が幸せになる罪悪感を感じるのはおかしいのではないか?
こうした罪悪感について、
お話の中でよく出てくるのですが
幸せになりたい自分もいるのに、
幸せになっちゃいけない自分もいる・・
矛盾しているようですが、
どちらも思いとしては持っているので
幸せや楽しさを感じると同時に
罪悪感も出てきてしまうため
安心して、幸せに浸れないんですよね。
過去のお話の中でも
罪悪感を感じるのを避けたくて、
自分が喜んだり、楽しくなることをどこかでセーブしちゃう自分がいると…
つい感情を抑えたくなっちゃうのは、何となく分からなくもないですが
こんなに辛いことってないですよね(T_T)
本来人間は、幸福になりたくて生まれてくるのに、不自然なことですからね。
そしてほとんどの方が、周りの幸せは普通に喜べると仰る優しい方ばかり・・・
なぜ、幸せになる罪悪感を感じてしまうのか?
罪悪感によって生まれる思い込み
「私は幸せになっちゃいけない」
自分に対して、禁止や制限をかけてしまう思いですが、この捉え方は、罪悪感によって生まれた思い込みであることが多いんですね。
幸せになっちゃいけない思い込みを持つ方には
●自己犠牲的な生き方になっている
●自分以外の人の幸せが自分の幸せ
●幸せのあとに悪いことが起こる
こうした共通した価値観や捉え方もあるため、
自分のために生きることにも、罪悪感を感じてしまうんですね。
※関連記事:無償の愛と自己犠牲の違いについて
ではなぜ、自分の幸せや喜びに対して罪悪感を感じてしまうのか?
主には子供の頃に親や周りの大人からの
“刷り込み” によって生まれた罪悪感です。
例えば
●苦労が多く
不幸だと嘆いてたお母さんの嫉妬で
「あなたはいいわね〜」
「そんな浮かれてたらバチが当たるよ」とか
日常的に妬まれ口を叩かれていた方
●体の不自由なきょうだい(姉、妹、兄、弟)が可哀想だと嘆く母親から
嬉しいことがある度に
「なんであんたばっかり…」
「あなたは恵まれてるんだから…」とか
自分の喜びごとを一緒に喜んでくれるどころか、嫌な顔をされ、心ない言葉ばかり言われ続けた方
●親自身が正しいと思う価値観の押し付け
「苦労しないと、幸せになれないよ」
「幸せのあとには不幸が待ってるから、あまり浮かれてたらダメよ」
・・・・・とかですね。
これらの言葉によって
聞かされた子供はどう受け取るのか?
言うことを聞かないと
「母親(父)に嫌われる…」
子供にとって親(養育者)から嫌われるかもしれないと思うことは、相当な恐怖ですし、見捨てられ不安に繋がることもあります。
「親に嫌われるのが怖い…」この恐怖感に、
嫌われるようなことをする「私が悪い」という加害者意識が生まれることもあります。
この罪悪感から解放されるには
“私は幸せになるべき人間なんだ”
ということ決断し
本当は、自分の幸せや喜びに
罪悪感を感じる必要は無かったんだと
真実を知り、受け容れることです。
本当の意味で受け容れられた状態になると
そこには罪悪感は生まれません。
本当は感じる必要のない罪悪感ですからね。
よくよく考えたら、幸せになるのが罪って、おかしな話ですもんね(・・?)
そこがハラ落ちしていくと
「自分の努力で手に入れた幸せには、満足感や幸福感で心が満たされる」
こんな思いに変わったり
また親の不幸話をえいえんと聞かされても
「それがお母さんの人生なんだね」って、母親の生き方と自分の生き方を分けて捉えることができます。
渦中にいる方の中には、ハードルが高く感じる人もいると思いますが
「どう言われようと、どう思われようと結構!私は私の人生を生きる!」
そう自分の心の中だけで小さく宣言してもいいかもしれません。
罪悪感の克服を辿る道は、決してそう単純ではないと思いますが、自分の選択次第で道は開かれていくと思います。
罪悪感を手放したい方は、カウンセリングにてお手伝いさせてくださいね。
編集後記
私も小さな頃から
母親の不幸話を聞かされて
「可哀想な母親」を植え付けられました。
幸せな選択をするたびに、母にどう思われるのかを気にしてビクビクしてたのを覚えてます。
やはり嫌われるのが怖かったんですね。
でも心理カウンセリングを何年も継続し、自分と真摯に向き合っていくなかで、母に嫌われる恐れがなくなりました。
恐れなくなったことで、母の反応を直視できるようになったんですね。
そこで気づいたのは
「一緒になって喜んでくれない時もあるし、面白くない顔される時もあるけど、嫌いになるまではないんだ」
捉え方の引き出しが増えたことで心が楽になりました。